娘に、魚の釣り方ではなく、釣りについて語ろう

★ぱぱにっき

子どもに遺産として、土地や自宅(建物)、お金といった有形財産として何かを残そうと思う親は少なくないと思います。

娘の将来を考えてみました、今の田舎の戸建ての一軒家では、おそらく大学が東京や他の地方になることも十分ありえるし、もしくは就職と共に家を出てしまう可能性も十分考えられます。

今暮らしているまだローンも残っているこの家から、もし宝くじが数億当たっても引っ越したくはないな~と昨日友人に言ったら、友人からそんなことは絶対ないだろうと否定されました(笑。

まあ、人の価値観はそれぞれですから、僕はあえて否定はしませんでした。

しかし、ものの価値ってどこにあるんでしょう?

値段=価値?でしょうか?

僕の場合、娘が生まれてくれたこの場所(現在の家)に思い出の値段をものすごく上乗せしているかもしれません。

娘が将来、自分が生まれたこの家に、自分が生まれたときに庭に植えた金木犀の木に、どれほどの価値を置くかは分かりませんが、確かに時価はそれほどでもないでしょう。処分が困る田舎の物件はむしろ娘の重荷になることも考えて(家を)購入しないと友人は言いました。

しかし、生まれた家族に対する記憶が何の価値もない思い出(むしろ早く忘れたい過去)の僕にとっては、思い出こそが最大の宝物です。娘にはこの僕の思いが理解できる賢い娘に育ててほしいですが、さてどうなるでしょう。

教育世界によく使われている格言に、

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」

という言葉があります。

※正確には『授人以魚 不如授人以漁』という老子の言葉

・魚=有形の遺産
・魚の釣り方=無形の遺産(=資産を生み出す手段や方法)

お金持ちなら、釣り方が分からずでも一生食っても余りのある魚(資産)を残すことも可能かもしれません。魚のストックが今ひとつの家庭ならば、魚より魚の釣り方(学歴など?)を身に付けされることが効率的かもしれません。

しかし、何か肝心なことを忘れていませんか?

もちろん、娘が魚も食えず飢えてしまっては話になりませんが、魚さえ腹いっぱい食えたら幸せなのでしょうか?学校や社会は、魚の釣り方だけを教えてはいませんでしょうか?上手な魚の釣り方だけを教わった子どもたちが大人になり、効率的にお金を稼いで、成功=幸せ、と決め付けて、成功したのにあんまり幸せと感じられないとか、自分より成功に対する努力もしていないやつが自分よりも幸せでいることが納得が行かないとかで、自分より格下の人を虐げて、格差社会を生み、この世を生き難くしてしまっているのではないでしょうか。

すでになってしまった格差社会で、飢えずに生き抜くために、魚の釣り方を教えなければと思いつつも心の片隅では悔しさでいっぱいです。魚の釣り方ではなく、そもそも「釣り」そのものについて教えてやりたいのです。

なぜ我々は釣りをしなければならないのか、釣りを通して生きることと幸せについて考える力を育ててやりたいのです。

知識(勉強)を「教」えることと自分で考えさせて自分で知識(勉強)以外のことまで気づかせる(「育」てること)で初めて「教育」になるかと思います。

我々は教育の半分しか受けておらず、また子どもに、半分しか伝えているのではないでしょうか。

子どもの教育に熱心な多くのママたちの考えをまとめてみました。

  • 教育環境が良いことに越したことはない
  • その環境を作るのは親の努力である
  • 良い学校とは良い上位学校への進学率が高い学校
  • 周りに塾や良い学校が揃っている
  • それらの環境はある程度、お金で揃えられる…

どうみても、教育の「教」の部分しか見ていない気がします。しかも、教育の「教」すら、学校や塾など環境まかせで、親はその環境を揃えるために、やっきになってお金を稼ぐだけ、お金で買える「教」には、「魚の釣り方」しかありません。

子どもに「釣り=人生」、そのものを教える役割は親がやらねばなりません。

今の公学や私学の教育機関にそのような部分のカリキュラムはありません。だからなのか、勉強はできても人生を壊してしまう人が後を絶ちません。「魚の釣り方」しか教わっていない醜い成功者たちが、社会をだんだんと住み難くします。

娘にこのようなこの世の実情を教えることは酷な気がして堪りません。


30年ほど前の映画になるが、今の時代にも通じる内容の映画であり、娘が中学生になるごろには一緒に見ておきたい映画でありまます。

『いまを生きる』(原題: Dead Poets Society)

1959年、アメリカの名門全寮制高校。生徒たちは、伝統と規律や親の期待に縛られながら、冷めためた気持ちで日々をやり過ごしている。そこに同校OBの教師キーティング(ロビン・ウィリアムス)が赴任してくる。マジメ腐った詩の教科書を破り捨てさせ、机に上に立ち、生きる視点を変えることを教えるキーティング。彼の授業を通して、生徒たちは自らを自由に語り合うようになり、自分の道を歩みだす。だが、彼らの前に厳しい現実の壁が立ちはだかる…。