名門・日比谷高校の定員割れ事件

★ぱぱにっき

名門・日比谷高校の定員割れで二次募集が行われるのは、学校ごとに合格者を出す「単独選抜」が始まった1994年以降初めてだそうです。

昨年度は東大に48人の合格者(現役生33人、既卒生15人)を出している名門高校の定員割れのネットではいろいろな波紋が広がっている様子です。

詳細はこちらのニュースを参照してください。

https://www.businessinsider.jp/post-186813

そもそも、「公立高は辞退できない」という高校受験ルールを(日本で高校を通っていなかったので)始めて知った管理人です。

とにかく、びっくりしました。

詳しく読んでみると、両者の言い分できますが、

僕個人の考えでは、「公立高は辞退できない」という暗黙のルールがいくら、より多くの学生や全体を考えた措置だと言っても、それを守らせるために「大人」たちから「子ども」たちへの見えない圧力は賛同できませんでした。

社会の中にはそうやって見えない拘束が数多く存在します。正直、その見えない拘束の頼りにこの社会が辛うじて機能していることも確かです。だからと言って見えない拘束力を何もかも明文化して法律化することも、良くないとは思います。この見えない拘束力を頼り切っている体質にも問題があると思います。

問題感をもってしても変えようとする人を除き、

  1. 問題をあえて認識しないようにしている
  2. 問題を認識しても無関心でいようとしている
  3. 問題を認識してすべて仕方ないと諦念している
  4. 諦念しつつも個人的な次元で被害を最小限にとどめようと頑張る

多くの小市民同様は、やっと3か4までしか成長できていないと思います。

僕も、多くの多数のために、改革や問題提起で改善していこうとする気力がありません。

3から4になれたのも「子ども」が生まれ、自分のためというより、自分の子どもに被害が及ばないように頑張る心によるもので、そうでなければ、もしかすると死ぬまで3のままだったかもしれません。

世界に目をむけばすばらしい教育政策を有している国もたくさんありそうです。まあ、教育政策に携わっている知識層の偉い方たちも充分にご存知で、日々対応策に頭を使ってより良くしようと頑張っているとは思いますが、現状はいつもあまり改善されず芳しくないように思えるのはなぜでしょうかね。

隣の芝生は青く見えるという話のように、実のところ、すばらしく見える国の教育政策も本当のところあまりよくなかったり、日本とは合わなかったりする理由もあるでしょうけど、それくらい見抜けられる人が政策に携わっていると信じたいです。

素人もしなさそうな愚策に踊らされるのは、いくら仕方ないと諦念しているとは言え、疲れます。