★ぱぱにっき
娘の教育や生活指導に関して父親が口を出すことはよくないと思いつつも、親として、こうなりたい、あああってほしいという気持ちが強すぎるため、最近、ついつい、妻に向けて小言が口走ってしまう傾向があり、注意をしないといけないと再三思いました。
妻と僕とで目指す目標や方向が違えば、娘の人生がゆらぐ可能性があります。少なくとも妻と僕の間で認識あわせが明確でなければならないと思います。これから社会へ出て、自分の人生を歩んでいくプレイヤーは、あくまでも娘。娘の専属コーチと監督を勤めるのは妻と僕なわけで、娘が小学校に入れば担任先生というベテランの専門コーチを迎え入れることになるのでしょう。
子どもの勉強の習慣作りは超簡単です。勉強習慣がつかないのは、勉強が嫌なものだと思うからです。例えば、子どもと一緒に「人生ゲーム」や「すごろくゲーム」をやりながら、“これが勉強だ”というと、そんな勉強を嫌だという子はいないかと思います。遊んでるだけでなんの勉強になるかと思うかもしれませんが、その遊びの中で教育的要素を引っ張り出すことが大人として親の役割だと思います。「すごろくゲーム」を通じて、マス目の移動で簡単に足し算の練習になりますし、「人生ゲーム」を通じて、子どもと自然に「人生」について語り合えるチャンスが発生します。
もちろん、ある程度の辛い経験をしなければならない勉強もあります。
でもそれはテレビゲームだって同じです、経験値あげなど無性に行う同じ動作の繰り返しなどは見方によれば単なる辛い修行です。それでも、子どもは喜んでやります。しかし、どんな勉強であろうとも、子どもの性格にもよると思いますが、間違いを厳しく指摘されてうれしくなる子はほとんどいないと思われます。学習途中に同じ問題を繰り返し間違っても、それはただのミスです。ミスはある程度の反復練習で十分直せるものばかりです。
それをその場で直そうかのような指導法では子どもの関心が勉強から離れるばかりです。
子どもの間違いはただ次に勉強すべき課題が明確になるためのヒントです。
親は間違いをみて問題点を分析し最良の次の手を子どもと一緒に考えるだけでいいのです。
そう、子どもの間違いは親の宿題です。子どもだけの問題ではないのです。
そうしたら、子どもの間違いに対して親はいつ怒って、いつ間違いを正せばいいでしょうか、それは、子どもの間違いが自分自身の大きな怪我や他の子への怪我に発展するようなものでなければ、親が怒る必要なんてないと思っております。
親が怒って子どもの間違いを直す(叱る?)より、親として駄目なのは駄目だという毅然とした態度を示す(叱る?)だけで十分です。大体の場合、実力行使となると、経済権を握っている大人の立場がはるかに有利なわけです。それを大人の論理で子どもを言い分をねじ伏せて間違いを認めさせてやると思うよりかは、うちの親はこんなんだからと諦めてもらうほうがよっぽどいいと思います。
しかし、疲れた時に子どもが部屋や目の前を散らかしばかりで、言うことも聞かないと、どんな母親でもイライラしたりするのは仕方がないかと思います。消化できない怒りはどこに行けばいいのでしょうかね。
怒りの感情のピークはだったの6秒という心理学研究結果があるようです。つまり、ほとんどの場合、この6秒さえやり過ごせたら、怒りの感情も静まり始まるわけです。この6秒、、、長いというか短いとみるべきでしょうかね。
さて、この6秒間の問題家庭に未来志向的に対処する思考パターンと、過去振り返り的な思考パターンについて比較してみましょう。
大切な資料や部屋のものが汚された
→起きた事は過去の事
→あきらめるしかない
→さてどうする?今からできることは?やりなおす?
大切な資料や部屋のものが汚された
→起きた事は現在の事
→誰の責任だ?問題はどこにある?過去を振り返る
→責任追及と再発防止
そう、目の前に起きている問題が現在進行形として捕らえてしまうことが最初の問題かと思います。そして、再発防止の観点でついつい過去の事を直そうとしようとしたりします。反省すらしたい人は論外ですが、反省という名目で過去に拘り続けることも良くないと思います。他の家庭ではどのようなチーム構成で子どもをサポートしているかわかりませんが、我が家にあって他の家庭にないもの、反対に、他の家庭にあって我が家にないもの、戦力分析を明確にしながら最善を尽くすしかないかと思われます。
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