『虚栄心に支配された人間』の6つの特徴と心理

★ぱぱにっき

先ほど、「iPhoneユーザーはAndroidユーザーよりも虚栄心が強い」という失礼極まりない(?)記事を書いてから、「虚栄心」という心の本質について考えることになりました。

見栄を張る vs 大げさに言う vs 嘘を付く

よく考えてみると上記3つの差が未だにしっかりつかめない時が多々あります。

たしかに、

  • 自分を良く見せたり、
  • 凄い人だと思われたい、
  • 他の人から認められたい、
  • 他の人から良く思われたい

と「格好悪い自分」で見られるよりも、少しでも「格好良い自分」を見せたいと思うのは、人間誰しも持っている「本能」なのかもしれません。

人でなくても動物ですら、羽を広げて大きくみせたり、美しく魅せようと、自分を誇示するのは、厳しい自然の中を生き抜くための「本能」なのですからね。

そういった意味としては「虚栄心(見栄を張る)」ことは、生きる上で「上昇志向」や「生きるエネルギー」を生み出す重要な心なのかもしれません。

しかし、人間が動物から成長を遂げて、人間らしさを主張するようになってからは、見栄を張る範疇が度をすぎると「虚栄心」としてむしろされられる文化が築かれました。

  • 自分の能力、実績を自慢、大口を叩く、しかし「行動」が伴わない
  • 異常に職業・人脈・学歴などの「ステータス」に執着する
  • 大げさな言動を日常的に多用する「虚言癖」がある

InstagramなどのSNSには、「リア充に見える写真」を撮るためだけに、お金をばらまいている虚栄心の強い人たちもいます。はたして、自分はどれだけ「虚栄心」に支配されているのでしょう。

『虚栄心に支配された人間』の6つの特徴と心理

  1. 自分の中の「虚像の自分」を盲信し、自分はこうあるべきだと思い込んでいる
  2. 常に自分と他人を比べ、優位に立つことでしか「自分の存在意義」を感じられない
  3. 自分の弱さ、コンプレックスを受け入れられない
  4. いつも「その場しのぎ」で切り抜けようとする
  5. 自分を大きく見せた方が人が寄ってくると思い込んでいる
  6. 虚実の自分を演じることに対して罪悪感がない

恥ずかしながら、自分自身、2~3項目に少しながら心当たりがあるのではないかと思いました。在るがままの自分を受け入れ、そこから理想の在り方を見座して、正々堂々と精進することが、「幸せに至る道」であることを再三思う次第でありました。