子どもが自主的に行動(勉強)するようになる裏技的に簡単なコツ

★ぱぱにっき

多くの教育指南書には口裏を合わせたように

子どもに絶対に“勉強しなさい!”と言ってはいけない

と書かれています。

しかし、いくら勉強に邪魔な環境をなくして、勉強できる環境をそろえても、 子どもに一向に勉強をやる気配が見えません。 そうなると痺れを切らした親は “勉強しなさい!”とは言わないものの、

妻:“いつ勉強(またはピアノ練習)をするつもり?” 
娘:・・・(都合が悪い質問に答えないでいる) 

結局、妻は娘の答えを聞かないまま、半強制的に勉強やピアノの練習をさせてしまい、いやいや勉強やピアノの練習を半泣き状態でやっている娘をしばしばみかけます。

この娘と妻のやりとりに、

二つの大きな問題があることに気がつきました。 

問題点1は、痺れを切らす寸前まで待ってからやりとりが行われていること。 
問題点2は、結局痺れを切らして娘の答えを待たずにやらせてしまうこと。 

まず、親が子どもに口すっぱく “勉強しなさい!”小言を言うケースだと、少なくとも子どもがまだ素直な小学校低学年のうちまでは、 いやいやながらも、親の指示に従い勉強せざるを得ないと思います。 親の指示により無理やりした勉強であっても毎日勉強をやっているとそれだけで成績は上がるものです。 成績や実力(娘の場合、ピアノ)があがると成功体験により授業やレッスン中に集中するようになり、 そのまま良い成績を維持してくれるケースもありでしょう。

 しかし、その実力は自らの意思によって得られたものでなく、 勉強に対する「好き」や「情熱」という感情なども生まれなく、 成長と共に簡単な環境の変化や気持ちの変化で壊れてしまいかちです。

 だからと言って、多くの教育書で言うように親が勉強する環境だけを用意して、 自ら勉強するようになるまで “勉強しなさい!”と言わずに待つケースだと、 我が家のように妻が先に痺れを切らして、結局は “勉強しなさい!”と強要しているものと、 他には最後まで待つのできるすばらしい親御さんの場合でしょう。

 最後まで待つと、子どもさんが必ず自らの維持で勉強してくれるようになるのでしょうかね?する?しない?半々?? 

自分の子どもの運命を運任せにするのはあまりにも無責任すぎませんか?

 多くの教育書に書かれている、

 子どもに絶対に “勉強しなさい!”と言ってはいけない

 ここで大きな勘違いがあることが分かりました

 妻が、“勉強しなさい!”と言わずに我慢をしてしまっていることに原因があるようです。

 実は最初の問題点1の「痺れを切らす寸前まで待ってからやりとりが行われていること」は、 親の対処法の間違いでした。

 我慢せずに言ってもいいのです!むしろ、最初はより頻繁に言ってもいいくらいです。 ただし、“勉強しなさい!”と言わず、言いたくなるたびに、 “明日は何時勉強する?”と予定を聞きましょう。

 先ほどの問題点1における “いつ勉強するつもり?”何が違うかと言うと、

 子どもはバカではありません、母親の質問から、質問の表面だけでなく、 その質問が意図している母親が欲しがる答えにも気がついているのです、小学校1年生でもです。 痺れを切らした状態の質問からは “早く勉強すると答えなさい!”という 無言の圧力が聞こえていたはずです。

我が娘も素直なタイプではないので、 とりあえず、そのまま “は~い!”とは絶対に答えません。

しかし、いくら一所懸命、勉強をしなくても良い言い訳をその場で考え出そうとしても、 母親が納得してくれそうな言い訳はなかなか出てきません、下手に言い訳したらむしろ事を大きくしかねません。

 なので、・・・と都合が悪い質問に答えないでいることが多いように見えます。

 痺れを切らす寸前の妻はそのような娘の態度にイライラしてしまうのはまあ当然ですよね。 結局、妻はなんのために我慢してきたのか、怒りを爆発させてしまいます。

 こうなると最悪です。

 なので、そうなる前に軽い気持ちで

 “明日は何時勉強する?”、“今日は勉強するの?”と聞き、

 娘が “今日はxxだから勉強はしないつもりよ”気軽に答えられる状況を作ることが先決です。

 勉強をしない宣言をしてもぜったいがっかりせず、とにかくたくさん声をかけて娘の意見を聞きだすことが最重要です。 人の心理は1度や2度と断るたびに相手に悪いと思うものです、3度目の質問には、 もしかすると、“xxの後に勉強やるよ”と答えるようになるかもしれません。

 重要なことは自分の言葉で、勉強や練習をやる宣言をさせるようにすることです。

 やらされてやるのではなく、自分が宣言したことを自分で守らせることが重要です。

子どもが自主的に行動するための秘訣は、 
約束ことをすべて疑問形にしてしまうだけです。

 “明日6時に起きましょうね”よりは、
 “明日は6時に起きてくれる?”とか、“明日は何時に起きる?”

 “毎日、朝も勉強をしないければならないよ”よりは、
 “明日の朝勉は何をやる?”とか“どのくらいやる?”

 疑問形で問いかける事で、子どもに常に自らの意思で選択し決定する機会を沢山与えて、 自主力を成長せねばと思う次第です。 

妻に伝えねば・・・